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2022年の暮れ、藤井風さんの「死ぬのがいいわ」をぼくはこう読む

2022年の暮れ、藤井風さんの「死ぬのがいいわ」をぼくはこう読む
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藤井風さんが今年の紅白で歌う「死ぬのがいいわ」。

みんなそれぞれ、いろいろな思いで聴かれていることと思います。

ぼくはあまりにもストレートな言葉が並ぶこの曲に、ずっと戸惑っていました。

ですが、最近の出来事の連続から、こういう風に解釈できるのかなと思っています。

ぼくの考えをうまくお伝えできないかもしれませんが、この記事ではそんな話を書きます。

ここからは、全くぼくの個人的な解釈です。正解とかでもなんでもなく、聴いた人それぞれの解釈で音楽を楽しんでもらえたらと思います。

まずは、改めて「死ぬのがいいわ」を聴いてください。

曲の冒頭で、針でもなんでも飲むと誓ったのち、こんな言葉が続きます。

「鏡よ鏡よ、この世で一番変わることのない愛をくれるのは誰?」

これを藤井風さんのメッセージにも時折出てくる、I AM YOUの文脈で「あなた=自分」と置いてみると、この曲の歌詞の違う一面がみえてきます。

「それでもときどき浮つくMy heart」「失って初めて気がつく」のが自分自身で、自分の心の底にある本心のことを指すのだとしたら…

自分の本心を裏切るならば、その結果はとんでもなくダサいことになる

自分が自分の本心で生きられなくなるくらいなら死ぬのがいいわ

そんな風にも読み解けてきます。

そして自分自身を失った(自分の心の底にある本心を裏切った)結果、本当に大切な人を失ってしまったり、失いそうになって初めて間違いに気づく…

その人(たち)は変わることのない愛をくれているかもしれないのに。

ぼくの頭の中ではここにつながって、一周回って「あなた=あなた」に戻ってきてしまったりして…

ぼくの人生は、ほんとうにそんなダサいことの連続で、たくさんの大切な人たちを失ってきました。

この一年を振り返るとさらに心の深いところまで響きます。

「自分自身を愛するとはどういうことかちゃんと考えようよ」

「もう二度とそうならないように、これからは自分の気持ちを裏切らないで生きていこうよ」

2022年が暮れようとしているいま、藤井風さんの「死ぬのがいいわ」は、これからも生き続けるぼくへの応援歌に聞こえています。

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この記事を書いた人

穏やか暮らし研究所代表。2020年まで10年間もしも大学公認講師として活動。もしもドロップシッピング10周年記念イベント公認講師部門で表彰。

1968年生まれ、神奈川県藤沢市出身。現在は栃木県那須烏山市在住。大学卒業後(株)本田技術研究所に入社。ライフスタイルの見直しをきっかけに2008年に退社し独立。退職後、まったく畑違いなWeb関連の事業をはじめて現在に至る。

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