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まわりの大人たちの言葉を頼りに生きて訪れた未来、ぼくが考える自由とは

まわりの大人たちの言葉を頼りに生きて訪れた未来、ぼくが考える自由とは
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こんにちは、奥成大輔(オクナリダイスケ)です。

本に載っていた偉人の言葉を調べているときに、アイルランドの劇作家 ジョージ・バーナード・ショーのこんな言葉をみつけました。

Liberty means responsibility. That is why most men dread it.
自由とは責任を意味する。だから、たいていの人間は自由を恐れる。

ジョージ・バーナード・ショー(George Bernard Shaw, 1856年7月26日 – 1950年11月2日)は、アイルランドの文学者、脚本家、劇作家、評論家、政治家、教育家、ジャーナリスト。

ヴィクトリア朝時代から近代にかけて、イギリスやアメリカ合衆国など英語圏の国々で多様な功績を残した才人として知られる。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
目次

まわりの大人たちの言葉を頼りに生きて訪れた未来

ぼくが高校3年生のときのこと。

ほんとうは自分が大切に思っていた価値観にフタをして、まわりの大人たちの言葉を頼りに生きることにしました。

それが当時の自分が選んだ選択です。

その22年後、問題が片手では数えられないくらいに増えてしまったとき、その選択はぼくにとっては間違いだったと気づきます。

気づいたというより、間違いだったと判断したという方が正しいかもしれません。

そのときのぼくにとって、問題を一気に半分くらいにする方法は、会社を辞めること以外には考えられませんでした。

実際、会社を辞めたことで自分にまつわる問題を、なんとか片手で収まるくらいの数まで減らすことに成功します。

でも、「まわりの大人たちの言葉を頼りに」という高校生のときのぼくの考え方は、自由を放棄して他人に責任転嫁するという他者に依存した考え方でした。

会社を辞めて、十数年が経過したいまなら冷静にそう分析できます。

ぼくが考える自由とは

自分にいま起きていること、自分の周囲でいま起きていること、それはすべて自分の責任だと思っています。

  • 時間を何に使うのか
  • どこに住むのか
  • 誰と過ごすのか
  • 何をするのか

すべての選択肢の中から、ぼくらは選ぶことができますよね。

でもその選択によって、起きていること、起きることは、すべてその選択をした自分の責任です。

それが自由だとぼくは考えています。

自分の選択の結果を受け入れる

当然、自分の選択の結果によって、よいこともあれば、よくないこともあります。

よいことは全く問題ないことですが、よくないときこそ自分が本当に自由なのか、それともそうじゃないのかが試されるときです。

ぼくも人間だから、腹を立ててしまうことはゼロではないけれど、よくないことが起きてしまったとしても、

「しまった、ぼくがいけなかった」
「自分の選択が間違っていたんだな」
「自分の対応が不十分だった」
「実力が足りなかった…」

と、自分の過ちや実力不足を認め、受け入れることができれば、そもそも腹なんて立たないし、心も穏やかでいられます。

まとめ

気づけばいま、ぼくが一緒の時間を共有しているチームの仲間たちは、みんな自由を恐れずにチャレンジしている人たちばかり。

そんな素敵な仲間たちと一緒の時間を過ごし、亀のような歩みでありながらも新しいことに取り組み続けているいま、ぼくは幸せです。

そしてそれは、高校3年生のときにぼくが心のタイムカプセルに閉じ込めた、ほんとうは自分が大切に思っていた価値観のフタをもう一度開いた瞬間からはじまっていると思っています。

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この記事を書いた人

穏やか暮らし研究所代表。2020年まで10年間もしも大学公認講師として活動。もしもドロップシッピング10周年記念イベント公認講師部門で表彰。

1968年生まれ、神奈川県藤沢市出身。現在は栃木県那須烏山市在住。大学卒業後(株)本田技術研究所に入社。ライフスタイルの見直しをきっかけに2008年に退社し独立。退職後、まったく畑違いなWeb関連の事業をはじめて現在に至る。

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